明日なにをするかについては、あるいはなにをしないかについては、自分でケツを持とう。
飲んで帰ってきてなにもせず食欲の思うままに貪り食い満足をしたとしても、今となって過ぎた過去を問うても仕方がない。過去へさかのぼることはできない。後悔や謝罪は、他人のためであって自からの助けにはなり得ない。
責任をとるべき、持つべきこそは未来であって、希望の灯火は常にそこにあり、またそこにしかないのだ。そんなわかりきったことも、わからなくなるほど混沌としているのは、そんな時代なのか飲みすぎなのか。
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